佐藤 智久のコラム・バックナンバー
タクシードライバー(1999年7月16日掲載)
ウチの近所というのは電車が通っていないために、どこかへ出かけようとする場合の移動手段というのはバスかタクシー、そして自分の車しかない。しかしバスは停留所に来る時間がアテにならないので急いでいるときには使えないしし、自分の車の場合は駐車場代がバカにならないばかりか酒を飲むときには使えない。そこで飲みに行く場合で時間がないときはたいていタクシーを使う。

その日も待ち合わせの時間に少し遅れそうだったのでタクシーを使うことにした。しかし近くの駅へ出るにしてもかなり道が混んでいて、この調子だと時間通りには到着しないかなと覚悟したそのときである。突如として左折したかと思うと、車一台やっと通れそうな道を突き進んでいく。こっちが「またワイルドだねぇ(^^;」と驚いていると、タクシーの運ちゃんがこう始める。「昔はネェ、道を覚えるために休みの日なんかは自転車で辺りをグルグル回ったもんだよ。道知ってないと商売にならないからさぁ」さすがプロだねぇと感心したいところだが、フロントガラス越しの光景はそれどころではない。トンデモなく狭ッ苦しく、素人じゃとてもじゃないが走れそうもない細い道を疾走し、角度にして90度にも満たない鋭角な角を曲がっていく。もうこれは危ないのどうの言うのは野暮ってもので、運ちゃんの話に相づちを打っているうちに、予想よりも早い時間に駅に到着した。

まさにプロの妙技というのを味わうことになったが、運ちゃんはというと当然というような顔をしながら「領収書、いる?」と一言。プロの仕事というのはこういうことを言うんだろうと実に感心しましたね。ナビには勝てない人の経験と技術。これを見せつけられちゃぁ2000円以上の料金取られても文句はないですよ。ツリはいらねぇよ、なんて言いたくなっちゃいますね。ホントはもらったけどね、領収書といっしょに。
理想は理想として理想らしく(1999年8月6日掲載)
あたしゃ常々ね、本当に良い文章というのは読んだ瞬間に頭の中に映像が浮かぶものだと思っているんです。それはすなわちオイラが目指しているところでもあるし、もうちょっと具体的に言うならば「一読にして書いてある内容を理解させる」ということなんです。まさに一撃必殺の文章っつぅかなんつうか(笑)。ハッキリいって難しいですよ、これは。オイラがいろいろ読みあさった文章の中にもその域に達しているようなモノって非常に少ないですし。ちなみにオイラが本当にスゲェと思ったのは寺山修司の

海を知らぬ 少女の前に麦藁帽の 吾は両手を広げていたり

という短歌なんですよ。その情景も、両手を広げている吾の心の中の海の情景も、初めて読んだときにぱぁっと頭の中に広がりましたね。それで「あぁこれが理想だな」って一発で感じたわけで。

自分のページで日記を始めて以来、楽しみにしているとか、文才があるとかなんとか言われてちょっとだけ天狗になってるんですが(笑)、なんか自分ではなにか特別気取ってとか気張って書いているわけじゃなくて、ただ脳髄からあふれ出てくるモノをキーボード経由でブチまけているようなモノなのです。結局オイラの文章の原点って、自分の中に渦巻いているモノの排出作業であり、また理想を求める自己研鑽の作業であるわけで。それでいろんな作家とかWeb authorのマネをして文章を書きながら自分の理想のスタイルとも言える安住の地を探していると。もっとも安住の地なんてたどり着いてみたらすごくクダラナイもので、すぐにそこから離れたくなってしまうんでしょうが。偶然見つかってまたどこかへ行ってしまう。これが理想的な理想の姿なのかもね。
カッコつけないのが、カッコイイ(1999年8月20日掲載)
カッコよく酒を飲むという行為にはなによりシチュエーションというのが重要だ。飛行機の旅にはシャンパンだろうし(もっともエコノミーじゃカッコつかないが)、列車なら缶ビールではなくてミニ瓶入りのウィスキーだろう。手持ちのアルミ製のボトルでも良いがこいつをあおりながら車窓に映る風景を眺めるなんてカッコ良いと思わないか?

それでは列車の中でないがしろにしてしまったビールのシチュエーションとはどこかというと、やはり野球場である。ここでは缶ビールでも瓶ビールでもいけない。タンクから蝋引きの紙コップになみなみと注がれる、キンキンに冷えた生ビールだ。これに勝るものなどない。最近じゃワインだの日本酒だのカクテルだの売っているが、これらは邪道だ。せいぜい許せるのは酎ハイくらいなもんだ。

考えてもごらんよ。夏真っ盛りの野球場、トランペットや太鼓やメガホンの音がこだまする中、グラウンドでは選手たちの熱いプレイが繰り広げられ、自分も好きなチームの応援で手はジンジン、ノドはカラカラ。そうなったら勝ってても負けててもこう叫ぶしかないでしょ「お姉ちゃん、ビール!」ってな。勝ってりゃ格別の美味さだろうし、思いっきり応援してりゃ負けてても自棄酒が美味いじゃないか。

乾いたノドに染み渡っていくような冷たさと炭酸の刺激。腹にストーンと落ちたときに口をつくため息。カッコつけるという行為が一切干渉することのできない神聖な一瞬だ。そう、ビールを飲むときはカッコつけないのがカッコいい。
目新しさのワナ(1999年9月3日掲載)
昔っからたまにTVでやる海外CM特集なんてのが好きだった。日本で見ているのとはテイストの違うCMを見るというのは実に刺激的、かつ魅力的なものに見えたもんだ。そうなると結果として「日本のCMはまだまだアマいな」とか「他の国のCMの方が断然面白いね」とか思ってしまう。ところが8月にアメリカへ行ってCMを見てみると、面白いことは面白いんだが、日本より飛びぬけてるかというとそうでもなかった。アメリカのCMの質が下がったということじゃないんだろう。おそらく目が慣れてしまったってところだろうか。

慣れてしまったのにも理由がある。5月ごろからCSを導入してMLB中継をみているんだが、その中で現地のCMがそのまま流れるのだ。そうやって見ていくと結局は日本でやってるCMとまったく同じことをやってやがるなというのが見えてくる。ヤレうちの店はこれが安いだの、うちの電話会社は最大でこれだけ割引きますよだの、どこかで見たようなCMがいろいろ流れる。要は外国語だから目新しいとか普段あまり見られないから面白く思えるってそれだけのことなのだ。ナントカは3日で飽きる、カントカは3日で慣れるってぇ話もあるが、CMも3回も流れれば普通に思ってしまうってことだ。

目新しい、ということでいえばアメリカへ行ったときにお世話になった方と話していて「宇多田ヒカルが日本で人気がある、実力があるっていうが、彼女の歌唱力はこっちではまだベーシックの部類だろう」という話題が出た。確かに彼女が活躍しているジャンルであるR&BはBirdなど良いシンガーが出てきているものの日本ではまだ未開と言ってもいいくらいの認知度だし、現在の彼女がトップクラスのシンガーと肩を並べることができるかといえば違うだろう。結局のところ熱狂的な宇多田人気というのはR&Bのモノ珍しさに話題性が乗っかったという部分もあるのではないだろうか。もちろん彼女の楽曲の良さが人気を呼んだことは間違いないことではあるが。

目新しく、モノ珍しいのが良いものというわけじゃない。もちろん古いのが良いということもない。大事なのはその価値を見ぬく眼を養うことなのだ、とイイワケしながら新製品に飛びつくのもこれまた人のサガというやつなんだなぁ。
ギャップのある味(1999年9月17日掲載)
おでんというと冬の食べ物であり、まだ食うには時期が早いと思うかもしれないが、美味ければその限りでもないだろう。JR亀有駅から南口の商店街を抜けていって、ちょっと一本路地を入ったところによく買いに行くおでん屋がある。そこのおでんが気に入っているのだが、この店の名前がすごい。「まづいや」というのだ。

口に出して読んでみよう。まづいやだよ、不味いや。そりゃマズイやってな感じの店の名前なんだが、それに反するようにおでんは美味い。具は実にポピュラーだが昆布と鰹節で取っているであろう出汁はクドくなくて、口当たりが優しい。こいつをごはんの上にかけてサラサラと食べるってぇのもなかなかイケル。夕方5時ごろともなれば夕飯の買い物の主婦が店の前に並ぶというのもザラだ。たまぁにTVや雑誌にも登場する亀有の隠れた名店、ってやつだろうか。オイラが物心ついたときから喰っているというのもあるが、おでんといえばココ! ってくらいに気に入っている。店の名前も、味も。

なぜこんな話になったかってぇと、ちょいと野暮用で亀有に行ったついでにココのおでんを買ってきたんですよ。雨降って少し肌寒いだけにおでん喰うにはちょうどいいしねぇ。久々に燗でもつけて、おでんで一杯といきますか。ちょいと遅れた秋を迎えるにゃ丁度いいでしょうよ、ねぇ。
柿の下には気をつけろ(1999年10月6日掲載)
ウチには柿の木があってそれが毎年100個前後の実をつける。さすがに全部はウチだけで食べきれないので周囲のいろんな人におすそわけをするんだが、これがなかなか好評なのだ。自慢の柿の木ではあるのだがオイラとしては素直に喜べない。というのもわが愛車カルディナはこの柿の木の真下に停めているのだ。

だいたい想像していただけるとは思うが、この柿の木の下というのはいろんなモノが落ちてくる。春先は春先で毛虫が大量発生して葉っぱを食べて、そのうちマヌケなやつが車の上に落ちてくる。そのうちそのマヌケは日差しで乾燥してボンネットにこびりつくので非常にやっかいなのだ。夏の終わり頃にはまた別の虫なのだろうが、見事なまでに多量のフンを落としてくれて、車の上が緑色になる。そして収穫時期になると熟れすぎた柿が重みに耐えきれず落下してくる。これが一番大変で、落ちた柿にハエはたかるわ落ちた後に柿色がつくわと苦労が耐えない。ついでに最近は車の上が近所のネコの通り道になっているらしく、気がつくと足跡が点々と・・・

なんでこんな柿の木一本にオイラの車を汚されなきゃいけねぇんだ、この野郎・・・と怒るのもいい加減メンドウになるくらい例年行事と化した現象なもんで、ここ最近は「もうどーにでもしてくれや」という心境だったりする。そのかわりというか対価としてノーコストで柿が喰えるんですからねぇ。もっともカーシャンプー代と水道費でチャラってるような気もしないではないが(笑)。そんな柿もしばらく経つと収穫を迎える。さて今年も迷惑かけられた分だけ食わせてもらいますか。
サプリメント(1999年11月16日掲載)
ここのところサプリメントというヤツを使いはじめたのだ。

いわゆるところの「健康補助食品」というヤツで、ふだんの食事では取りきれない栄養分なんかを補給したり、自分の目的にあった成分なんかを意図的に取りいれて食生活を補おうというもの。いやまぁ説明しなくてもすでに知っているという方もおられるとは思うが、これって使いはじめてからわかったんだけども、なかなかにイイものですな。

一番最初に使ってみたのがキトサンというカニやエビの甲羅から取れる成分で、よく取りすぎた脂肪を体外に排出するなんて話を聞いてて「もしかして痩せるとかそういうことですか〜?」なんてスケベ心を出して使ってみたんだけど(笑)、使ってみて痩せるとかは別として体調が良くなってて、以前とは全然違うのだ。これにはびっくり。こんなラムネ菓子みたいなナリしていても効果がみられてしまう以上はバカにできない。ここ一月程度はしっかり毎日使用している。

最初はやはり薬のようだというイメージがあるから抵抗はあるし、その関係で副作用というのも気にしてしまうんだけど、実際に食品にも入っている成分で作っているんだったら、アレルギーさえなければ何も問題ないと思うし、これも食事の一部として認めてもいいかなって感じるのだが皆さんはいかがなもんでしょう? もっともバランスのいい食事を毎日取っていれば問題ないって言われてしまえばそれまでかも知れないが、それができないからこそのサプリメントなんだよねぇ。

働きはじめてからは時間がなくて特に運動とかの量が減ってきていて、ちょっとづつ健康とかそういう方面も気になってきているだけに、こういうサプリメントを利用するいうのは体調をコントロールするにはすごく便利でありがたいと思ってしまうんだけど、こういう考えって軟弱なんでしょうかねぇ(笑)?

 

西暦2000年のドア(1999年12月31日掲載)
子供のころは西暦2000年なんつぅとかなり先のことだなんて思っていたが、実際に目の前に迫ってきてしまうとあっけないもんだ。昨日高校時代の仲間と飲みながら話をしてたが、もっとイイ大人になってるもんだと思ってたんだけどなぁ(笑)。現実とはなかなか厳しいもんで。

それでも子供のころに比べたら今なんて夢のような時代なのかも知れない。ネットで世界中の情報が簡単に手に入ったり、手軽に持ち運ぶことのできる電話があったり、行き先の道案内をしてくれるシステムができたり、犬のロボットができたりと、今現在で当然だと思っているようなことがほんの四半世紀前には空想の世界の中の話だった。今の我々がやっているインターネットラジオだってそうだ。

1000年代最後の年である1999年にスタートしたRJC。そのスタートまでにさまざまな思惑があり、そして今も参加している各員にとっても、自分にとってもさまざまなヴィジョンが渦巻いている。RJCにとっての今年としては「趣味を突き詰めていったらこういう可能性がある」というその可能性を示すことができた、そう自分では考えている。ただここからは可能性をリアルな形でもっと押し出していくべきなんだろう。で、その結果としてリスナーのみなさんが楽しめるサイトになるならベストなんじゃないか。

2000年は本当の意味での世紀末になるんだが、なんとなく自分の中では「終わり」という意識が希薄だ。あまりに1999年が終末だというのを盛り上げる風潮が高かったからというのもあるかもしれないが、自分としては2000年というのは20世紀と21世紀の間をつなぐトンネルのようなものと捉えている。このトンネルの先にあるのは光なのか闇なのかそんなのはわからんが、21世紀をどのように迎えるかというのはこのトンネルの中でのことに大きくかかわってくるんじゃないか。

RJCは人間にたとえるならまだハイハイしているような状態でこのトンネルを迎える。21世紀を迎えるときにすっくと立っているか、それともヨチヨチ歩きなのか? それはこれからの一年で答えが出る。2000年はRJCにとって飛躍の年であり、勝負の年でもあると自分は感じている。

さあ2000年のドアを開けろ。21世紀は目の前だ。

 

ものぐさ。(2000年6月5日掲載)
自分自身を形容する場合に出てくる言葉といえば「ものぐさ」か「きまぐれ」である。実際にこのコラムにしたって昨年12月末以来ぜんぜん書いていないし、自分で運営しているホームページにしたってロクに更新しているわけでもない。一番頻繁に更新しているコンテンツは日記なのだが、それにしたって以前は毎日更新していたものの、ここしばらくは1日2日くらい溜めていて、下手をすると1週間くらいを一気に書き綴るということもザラだったりする。自分でももちろん損な性質だと思ってはいるのだが、今一つ改善できそうな様子はないし、たぶんこれから先も変わっていくことはないんじゃないだろうか。

そんな自分がここしばらく面倒くさがらずに続けていることがある。1日20〜30分程度の有酸素運動と食事の制限、要はダイエットのことだ。大学を卒業してからというものまったくといって良いほどに体を動かしていなかったツケが溜まって体重がずいぶんと増えてウェスト周りもずいぶんと大きくなってしまった。そこで今年2月から運動と食事制限を始めたのだが、自分には珍しくここまで継続してやっている。そのおかげなのだろうかダイエット開始当初から4ヶ月程度で約8kgほどウェイトを落とすことができた。べつに目標の体重とか期日とかを設定しているわけではないが、数年かけて体重を増やしたのだから数年かけて体重を戻すくらいの気持ちでやっている。強いていうなら後輩の女の子に「先輩、カッコイイ」と言われたときくらいに戻れたらイイなというところか(笑)。

何かを自分の中で変えていくというのは甚大なエナジーを浪費するからこそできることじゃないかなどと思う。例えが適切なのかどうかはわからないが、石油を電力に変換するのに炎という媒体を介するように自分の中でなにかを燃焼させることによって自分自身を変換することが、ひいては自分を変えるということにつながるんだろう。しかしその変換も継続しなければ意味のないことだし効果がない。一時期に一気にやるということは案外誰にでもできるものだが、これを継続するとなると簡単にできるものではない。それに一気にやったとしても効果があるのはほんの少しの間だけだ。ダイエットの場合はリバウンドというやつだが、これだって少しずつ安定して続けていけばそれほど大きいリバウンドが来ることは少ないと思う。

受験のときの名文句「継続は力なり」とは良く言ったものだといまさらながらに思ったりする。でもこの継続を他の方向にもいっしょに活かせということになるとまた難しかったりする。これもまたある意味で「にんげんだもの」っていうことかね(笑)。

 

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