石川 英明のコラム・バックナンバー
今日のお題は……睡眠(1999年7月14日掲載)
RJCにようこそ。はじめまして。私はRJCのスタッフで石川と申します。私自身、まだどの番組にも出演しておりませんが、このRJCをもっと楽しいものにするため、がんばります。よろしくお願いします。

ところで、私は他のスタッフと違って自分のホームページというものを持っておりません。そもそも私は他のスタッフより技術面に疎く、なぜ私がこのプロジェクトに参加しているんだと自分に問いたくなるほどです。自分のホームページを持つことにあまり憧れも抱かない私ですが、今回こんな機会ができたことで一つだけやってみたいものがありました。それがコラムです。私は人のコラムやエッセイを読むのが好きです。特に、考え方や人生観がにじみ出やすいコラムやエッセイというものに非常に魅力を感じます。ですから、私が担当する回のこのコラムでは、文字どおり「私のコラム」を載せていきたいと思います。まぁ、日記のようなものですが……。どうか、お付き合いください。

ではさっそく今日のお題「睡眠」。 やらなければならないことがたくさんある。やりたいこともたくさんある。そこで悩むのが「時間の使い方」。私は記憶力が悪いせいか、作業効率が恐ろしく遅い。当然「やらなければならないこと」を優先させていくから「やりたいこと」ができなくなる……。そこで犠牲になる睡眠時間。どなたか「5秒で熟睡できる方法」があれば教えてください。

 

今日のお題は『関西』(1999年8月3日掲載)
こんにちは。RJCの石川です。実は皆さんに謝らなくてはならないことがあります。それは、僕がこのコラムの原稿の締め切りをオーバーしてしまったことです。このコーナーを楽しみにしている方には、本当に申し訳なく思っております。

原稿も書かずに何をやっていたのか。これは単なる言い訳になってしまいますが、僕は仕事の都合で7月30日から31日にかけて関西地方に行っていました。(これのため原稿が書けずにいたのです。ごめんなさい。)土産話と言うか、おわびの代わりと言うか、今回は、この出張旅行のあいだに感じたことを書きたいと思います。

実際、街をゆっくり歩く時間はありませんでしたが、やはり『その地の名物』に関する看板は目につきますね。僕は新大阪でレンタカーを借り、大阪、奈良、神戸などを行ったり来たりしたのですが、「たこ焼き」や「明石焼き」「灘の生一本」のような食べ物のお店の他にも、神戸の洋館をかたどった置き物のお土産や、甲子園球場とか法隆寺のような場所そのものが名物となっているようなものまで、実に多彩です。しかも、高速道路の発達により3都市間が近く感じるせいか、どこに行ってもまさに見どころだらけといった印象を受けました。

そこで、東京出身の僕が感じたことなんですが、『東京名物』って何なんでしょう。東京タワーですか?国会議事堂ですか?新都庁ですか?お台場ですか?食べ物だって「もんじゃ」と「雷おこし」くらいしか思い付かないでしょう。東京の名物って言うのは、明確にはないんじゃないでしょうか。

これは、東京で生まれ(現在住まいは千葉県ですが)東京で働いている僕だからこそ見過ごしていることなのかも知れませんが、少なくとも僕には東京に名物などないような気がするんですよね。言い換えれば、東京には『歴史的伝統に培われた文化的象徴』がないと言うことができると思えるんですよ。うーん。なんか東京出身の僕には寂しいと思えるのですが、どうでしょう。

そこで僕が考えた東京名物。それは『首都』。少なくとも今現在日本の首都と言えば東京しかないんですから、東京の名物は『首都』ということで。近々、『首都まんじゅう』なんていう商品を新都庁の1階で売ってみてはどうでしょうか。

 

本日のお題は……礼儀(1999年8月18日掲載)
どうも。RJCの石川です。連日の猛暑の中いかがお過ごしでしょうか。

先日、ふとしたきっかけからインターネット内の掲示板について考えさせられる出来事が2つありました。

1つ目。友人のホームページの掲示板を3ヶ月ぶりに覗くと「去る事情により全ての書き込みを消去しました。管理者」の文字。何があったのかと友人に直接電話をしてみると「オレがやったんじゃないよ」との答え。これが噂に聞く「ネット荒らし」だと僕が知らされたのは、その翌日でした。

2つ目。あるTV番組のファンが主催する掲示板。見知らぬ人々が、その番組に対する様々な思いを書き込み、意見を交換しています。当然「この番組が好きです」という肯定的な意見もあれば、「僕は嫌いだ」という否定的な意見もあるでしょう。しかし、否定派の中の一人が寄せた書き込みが肯定派の人々の怒りに触れ非難が集中。すぐさま掲示板上で、その人物へのバッシングが始まってしまいました。その原因は、書き込みにおける「言葉使いの不適切さ」でありました。

チャットや掲示板に代表される新システムは、我々人間に今まで見たこともないようなコミュニケーション手段を供給してくれます。しかし、同時にそれは我々のコミュニケーション場面において新たなる問題を発生させてしまいます。インターネットなどのマルチメディアワールドにおける倫理の法制化。我々は、新たなる技術の上に新たなる秩序を設ける必要があるのです。

しかし・・・本当にそうなのかなぁ・・・。『人間対人間』のコミュニケーションは、いつの時代にも変わってないはずなのに。本来なら、新たなる技術が生まれようと人間倫理は人間倫理。基本的に「自分がやられたらイヤなことは人にやらない」という考え方さえできれば、新しい秩序法制なんか要らないと思うんですが・・・。結局、技術力に一番追いついていないのは、国家予算でもエネルギーでもなく、人間なのかもしれませんね。

 

今日のお題は・・・「夢」(1999年9月3日掲載)
皆さん、こんにちは。RJCの石川です。

先日、大学時代の友人と2人で酒を飲みました。その友人は僕の会社の取引先の会社にアルバイトで来ているんですが、何を隠そう彼は役者を志す演劇青年なのです。かく言う僕も、実は子どもの頃は児童劇団に入っていた“元”演劇少年。そういう意味で言えば、彼とは『役者仲間』なのであります。電話で待ち合わせをし、勢い込んで神田駅周辺にある飲み屋に直行。焼き鳥やらゲソやらのつまみを肴に、酒を酌み交わす。そして、そこで出てくる話題は、お互いの『夢』でありました。

「自分には、実はこんな芝居のアイデアがあり、これは将来ぜひにでも実演したい。」
「それ、おもしろいなぁ・・・。いや、じゃあ、そのアイデアにヒントを受けて、こんなことを考えてみたんだけど、どう思う?」
「あぁ、いいねぇ。それじゃあ、例えば・・・・。」

最初は雑談だったのですが、気が付いたら2人半ば真剣に『芝居』について語っていました。そう。お互いが胸に秘めていた『夢の演劇』の話です。

「いつか、こんなお芝居を作ってみたい」

役者仲間だからこそ『自分の理想の、夢の演劇に思いをめぐらせる』ことに共感できる。そして、そんな『思い』をお互い言い合うことにより、さらに自分の『夢の世界』は広がっていく。普段はあまり口にする機会がない分、思いきり語り合いました。そうです。久々に、心の底から楽しいと思える時間だったのです。

「夢を語る」などと聞くと、少し古めかしい青春ドラマのように感じるかも知れませんが、誰しも、大小に関わらずそれぞれ『夢』というものを持っています。図らずも、僕には、それが普段仕事に追いつめられる生活の中で感じることのできた、良き心のオアシスとなり得ました。これこそ、明日からまた一生懸命仕事に打ち込める活力になるのだと確信した程でした。

なるほど。語るだけでも『夢』というものは、人間に活力を与えうるものなんだな。

 

証明[前編](1999年9月15日掲載)
こんにちは。RJCの石川です。相変わらず暑い日が続いていますね。さて、今日は何やら難しそうな題名を付けてみましたが、これは僕が前々から考えていた一つの主張ですので、そのつもりで読んで下さい。

文系の大学を卒業した僕ですが、実は自然科学が大好きです。“憧れている”と言った方が正しいでしょう。ノートに1行で収まらないほどの数式を作り上げ、ありとあらゆる数学的テクニックによって式を変形させていき、最後には「よって証明せり」と締めくくる。僕には科学がとても“理論的な学問”であるという印象がするのです。まぁ、実際の科学の世界では、必ずしもそうでないこともあるでしょうが、少なくとも僕には僅かな隙もない理論一辺倒の“秩序ある学問”に思えてならないのです。今どき珍しい“科学信仰
”と言えるかも知れません。

ところで、僕は“迷信”も好きです。実際に見たことや体験したことはありませんが、UFOや幽霊などの話題はやはり興味が涌くというもんです。そこで、そんな僕が思わず見てしまうTVが、TV朝日の超常現象討論番組。肯定派、否定派に別れ、様々な超常現象の真否を討論するというバラエティー番組です。「見た」「見ない」「嘘だ」「本当だ」と半ば水掛け論的な“大の大人の子供じみた口喧嘩”が、この番組の売りではないかと思います。

その、“番組の売り”に対してケチを付けるつもりでもないんですが、僕はこの番組を“野次馬的心境”から楽しんで見ている一方で、その進展性のない討論に苛立ちを覚えて仕方ありません。様々な証拠を持って相手を論破するということなら納得もできるんですが、揚げ足取りのようなことをして相手を参らせようとしたり、その人の個性的資質に対し罵詈雑言を述べるというのは、賛成できません。そりゃ、端で見ている分にはいいですが、何より“科学的”でありません。本当の論争になり得ていないと思うのです。

 

証明[後編](1999年9月30日掲載)
そして、ここからが僕の提言なのですが、恐らく超常現象の世界においては「一を証明して十を証明する」ということはあり得ないのではないかと思います。すなわち「1個のミステリーサークルがインチキであることを証明することによって、現存する全てのミステリーサークルがインチキである」という証明は成り立たないと考えるわけです。よく一つの超常現象のトリックを暴いて得意顔をしている科学者がいますが、それは間違っていると思うのです。できれば現存する全ての事象に対して科学的な検証をしてもらいたいと願うのです。

超常現象の正体とは何でしょうか。もちろんインチキもあるでしょう。いや、インチキの方が多いんでしょう。何かの自然現象を見間違えたというのが正体だった。これが真実なのかも知れません。どうしても科学で説明のつかない現象でも、実はまだ人類が知らない特別な物理現象である可能性だってあるわけです。超常現象が、いつしか我々の“常”識を“越”えない現象になる日が来るかも知れません。そりゃ、僕としてはUFOや幽霊の存在を信じることは魅力があります。科学が敗北し、それらの超常現象らが現実に存在するならどんなに凄いことだろうと胸を躍らせることはあります。しかし、それでも僕は科学の味方であると宣言します。科学は何とか我々の“未知”を“既知”に変えてくれることでしょう。

 

本日のお題は・・・学生気分(1999年10月20日掲載)
どうも、RJCの石川です。近頃めっきり寒くなりましたね。皆さん、風邪などひいていませんか?
僕は・・・いたって健康です。

今回は少し僕の仕事に関係する話です。

先日、仕事の関係で、僕はある書評家の方にお会いしました。『書評家って何?』という人の為に、あえて説明しますと、映画書評家が映画を評論するように、服飾評論家がファッションを評論するように、発売中の本(小説など)について評論するのが書評家のお仕事です。おわかりいただけましたか?

実を言いますと、僕はTV番組などを作っている制作会社に勤めておりまして、今回はその取材という形で訪れたわけであります。

相手は書評業界の有名人。普段のお仕事の邪魔をしないようにと、なるべく早く取材を済ませ、お帰りいただこうと思ったのですが、「いや、もう少し(撮影の様子を)見ていたいんで、まだいますよ。」とのこと。結局撮影終了の夜まで、ずっと一緒にいてくれました。

撮影中も、ご自分の出番がない時は、スタッフが持ちきれずに道ばたに置いておいた荷物を「他にやることがないから」と言って持ってくれたり、果ては交通整理まで進んでやってくれたりしました。何より、僕にとって一番印象的だったのは、まるで子供のような目で撮影現場をご覧になっていた、その目でした。

撮影中、休憩を取ろうと入った喫茶店の中でも、この方は僕らスタッフに対して気軽に声をかけてくれました。まるで、大学時代、初めて入部したクラブの部室で親切な先輩にいろいろ話しかけられているような気分でした。そう、この方は、僕のような年下の者にも、分け隔てなく接してくれたのです。

『TVの取材現場』に対して向けられたその好奇心。

年下を決してバカにしないその態度。
僕には、この方が『良き大学の先輩』のように思えてなりませんでした。この方が、未だに大学生の頃のような若々しい精神の持ち主であると確信しました。良い意味で、『学生気分』の抜けていない人でした。

学生気分が抜けていないと言うと、何か悪いイメージが付きまとうと思われますが、新しいものに対する柔軟性という意味での『学生気分』は、いくつになっても大事なのではないでしょうか。
今日のお題は……年齢(1999年11月11日掲載)
どうも、RJCの石川です。
すみません。またやってしまいました。本当は11月11日に載る予定だったんです。このコラム・・・。ごめんなさい。コラムの『遅刻』をしてしまいました。すいませんでした。いや、このコラムは我々RJCのスタッフが当番制で書いているものなんですが、正直なところ、「あれ?もう僕の番なの?」という感じです。油断してました。ごめんなさい。

まぁ、言い訳がましく「時の経つのは早いもの」などという言葉から、今回の僕のコラムを始めたいと思うんですが、ここ数日、僕は自分の年齢、世代が一体社会的にどういう位置にあるのかを思い知らされたんで、今日はそれについて書こうと思います。

先日、僕は母校の大学の学園祭に遊びに行きました。卒業して、はや2年。もちろん、僕が在学していた頃とそれほど変わっているわけがない構内の様子ではありましたが、僕は自分が所属する世代の位置というものを、まざまざと見せつけられました。それは・・・

『同級生の結婚!』

そうなんです。大学を卒業して2年。年代としては20代前半から中盤に差し掛かる年齢です。もう、結婚していてもおかしくない年頃なんですね。いや、僕だって自分がそういう年齢になっていることを自覚していなかったわけではないんですよ。しかしね・・・やはり事実として友人がそういうことになっているということを聞くと・・・「僕もいよいよそういう年代なんだなぁ・・・」と感じて入ってしまうわけなんです。

それに、最近、もう一つ大きな出来事が・・・。それは、一緒に住んでいる祖母の入院です。元気だけがとりえの人だった祖母も、寄る年波には勝てなかったみたいなんです。


『祖母が歳を取っているということは、僕も、それ相当の年齢に達しているんだなぁ・・・。』

まぁ、子供の頃から可愛がってくれていた祖母なので、「自分の年齢を思い知らされる」ことへのショック以上に、僕には精神的打撃を与えてくれましたが・・・。

もうすぐ2000年。とにかく、僕は今、流れいく時間の中を生きているんだなぁと実感している今日この頃でした。

 

今日のお題は……商業的奉仕(1999年12月7日掲載)
こんにちは、RJCの石川です。もう12月ですね。あと幾つ寝ると2000年であります。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

さて、今回は先日ふと思いついた、下らない話をしましょう。

きっかけはある合いカギ屋さんでの出来事でした。前々回のコラムにも書いたと思いますが、僕はTV関係の仕事をしています。TVの取材というと、カメラで撮影して終わりというイメージがあるかも知れませんが、実際は事前に調査取材をし、撮影をして、番組が放送され始めたらそのビデオを送り「この前、取材した作品はこうなりました。ご協力ありがとうございました」という礼状を送らなければならないのです。事前調査からお礼まで、一通り終わってやっと取材完了となるわけです。その日、僕はビデオを手にお礼のために伺ったのでした。

お礼を言い、ビデオと記念品を渡し帰ろうとした瞬間、僕は上司に合いカギを作っておくように頼まれていたことを思い出しました。僕にとっては別に狙った訳では無かったんですが、合いカギ屋さんの方は「ビデオと記念品のお礼に」と言って無料でカギを作ってくれました。つまり"カギ"を"サービス"されたんです。

ここで僕はある一つのことを思いつきました。

例えば、僕が合いカギ屋さんだったします。そこに何かとても恩のある方が通りかかりました。僕としては、その大恩ある方に感謝の気持ちを表したい。僕じゃなきゃ出来ないことで恩返しがしたい。そう「合いカギを作ってあげたい!」しかし、相手が合いカギを作りたいと思ってくれない限り、僕は自分の望む恩返しができない。合いカギ屋という商売以外にも、「職業を活かした奉仕=サービス」が出来ない職業があることに気が付いたのです。

以下に挙げる職業とサービスは、そのとき僕が考えた「こじつけサービス」です。中にはサービスの方法が間違っているものもあります。「ある職業の人物がその恋人に無料でしてあげること」という設定で下記の文章を読んでみて下さい。

 合いカギ屋さん      :「(君のために)カギのギザギザを一つ増やしておいたよ」
 医者            :「(君のために)点滴3リットル多くしてあげるよ」
 飛行機のパイロット  :「この三回転半ひねり宙返りを、君に捧ぐ!」
 大工          :「この家の大黒柱、君の全身像の彫刻をしておいたんだ」
 刑事          :「この怪盗3025号の逮捕を君に捧ぐ!」

まぁ、他にもいくらでも考えられると思いますが、どんなもんでしょう?

ちなみに、私たちRJCだったら何て言いますかね?

「君のために好きな曲をラジオで流すよ。」というより、
「君のために、2分長く喋ってあげたよ。」と言いそうですね。(笑)
本日のお題は……占い(2000年1月22日掲載)
どうも、RJCの石川です。遅ればせながら、あけましておめでとうございます。時の経つのは早いもの。もう、2000年1月も半ばを過ぎてしまいました。本当にあっという間ですね。

さて、本日のテーマは占いです。昨今大流行の動物占いなんてものもありますが、今日は、占いについての僕の思いなどをお話しましょう。

突然ですが、僕は占いが嫌いです。動物占いや星占い、血液型占いやタロット占いなど、ありとあらゆる占いが嫌いなんです。ここで一つ注意。それは、僕が決して『信じていない』と言っているわけではないという点です。
占いを信じていないわけではありません。むしろ、信じています。動物占いにしろ、星占いにしろ、結構信じる方なんです。

では、なぜこんなに占いが嫌いなのか。理由は簡単。『当たり過ぎるから』です。

実際、動物占いでの僕の結果は驚く程一致してました。(ちなみに『コアラ』だったと思うんですが…)TV雑誌の後ろの方に載っている週刊星占いなんかも、結構当たっています。手相や性格判断テストみたいなものはやったことがありませんが、おそらく当たるんじゃないでしょうか。

はい。僕は、占いの当たり過ぎるところが嫌いなのです。未来に起こることが何もかもわかってしまったら、つまらないと思いませんか?そんなわけで、僕は占いが嫌いなのです。
そりゃ、勿論、完璧に100%の確率で当たっているわけではありませんよ。しかし、「占いって当たるもんだなぁ…」とつくづく感心させられるような場面に、僕は何度も遭遇しているんです。

例えば、これは先々月の話。
「今週は忙しくて、ろくに家にも帰れない」とあらかじめ分かっている日の朝。たまたま立ち読みした雑誌の星占いに『今週は体力が相当消耗するから健康面で注意!』なんて記事が書かれていたりする…。
他にも、立て替えていたお金を返してもらえる予定になっていた日に『金銭運◎まとまったお金が入ってくる』などという占いを見たりする。「あぁ、占いって当たるもんなんだなぁ…。」僕はたびたび、こう感じるを得ない境遇に置かれるのでした。

もっとも、占いの当たりハズレは『自分の受け取り方』なんでしょうね。
占いに書いてある事柄を、うまく自分の境遇にこじつけて「うわぁ、当たった!」とか「全然当たってないじゃん」と一喜一憂するんでしょうね。本当に、『信じる人ほどよく当たる』んじゃないでしょうか。

そう言えば、以前、僕の母がおかしな電話を受けたことがありました。
見ず知らずの女性から「占いの勉強をしているもんで…」などと言って掛かってきた電話で、しばらく話していた母も、受話器を置いた後に「なんだかうさんくさい電話だったわ」と言ってました。
別に、何か勧誘されたり購入させられたわけでもなかったんですが、母親はその電話の相手に「おたくのお子さんはネクタイをしない職業につくと思いますわ」と言われたんだそうです。

今、僕は確かにネクタイをして出勤しているわけではありません。

う〜ん。これはいったい…。

あの時の電話の方・・・良かったら、僕のこれからの未来について教えていただけますか?
今頃どうされているのでしょうか、連絡待ってます。(笑)

本日のお題は……本物志向(2000年2月11日掲載)
どうも、RJCの石川です。もう2月。皆さん、風邪などひいてませんか? さて、すでに1ヶ月以上経ってしまって何ですが、今回のコラムでは『今年の流行』を予想したいと思います。

今年の流行、キーワードは『本物志向』ではないでしょうか。海外にお住まいのリスナーの方はご存知ないかも知れませんが、最近、人気が上がってきた芸人さんが3人います。

1人目は『いっこく堂』。一度に2体の人形を操る腹話術師です。人形による腹話術もさることながら、「音声が遅れて届く衛星放送のニュースキャスターのマネ」や「コップの中に閉じ込められた小さな透明人間芸」など、腹話術を駆使した多種多様なネタを見せてくれます。

2人目はモノマネの『コージー冨田』。「笑福亭鶴瓶」「島田紳介」「とんねるずの石橋貴明」などいろいろな芸能人のモノマネをしますが、特に秀逸なのが「タモリ」のモノマネです。他にタモリさんのモノマネをする人がいないという事実もありますが、ちょっとした言い回しや声質などは驚くほど似ています。

3人目もモノマネの『原口あきひさ』。彼もコージー冨田同様、様々なモノマネをしますが、彼の得意の人は「明石家さんま」。受け答えや仕種、リアクションまでが瓜二つと言った具合です。

この3人を見ていると、どうしても『本物志向』という言葉を思い出さずにいられません。彼らの芸は、ちょっとやそっとでは真似ができない『プロのわざ』があると思います。素人くささが売りの芸人さんが多く存在する昨今において、彼ら3人は『プロの芸』で見せていく芸人さんであると言えるでしょう。

「素人芸」と「プロの芸」のどちらがいいかは僕にもわかりませんし、本当に彼等が今年流行るのかはわかりませんが、とにかく彼等の芸はとても面白い。これからの活躍が期待できる芸人さんだと言うのが、僕の今回の結論です。

本日のお題は……『お恥ずかしい!!!』(2000年2月25日掲載)
どうも、RJCの石川です。世間はもう3月。学校や職場では1年の最後の月というわけですね。いや、本当に月日のたつのは早いものです。

さて、一通り季節の挨拶も済んだところで、本日の第一声は『お恥ずかしい!!!』。
いきなり何のことやらとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、実は、前回のコラムに対して、リスナーの方からご感想をいただけたんです。(もう随分前のことになります。詳しくはリスナーズラウンジをご覧ください。)ちなみに、せっかくご意見をいただけたので、それについて僕からのお返事をこの場を借りて述べますと……。

前回のコラムのタイトル『本物志向』は『真剣勝負』の方が適切なのでは?というお話でしたね。いや、全くごもっとも。早い話、『本物志向』という単語以外思い浮かばなかっただけのことなので、僕としてはタイトルはあまり重要じゃなかったという
……(笑)。

まぁ、それにしても今さらながら、僕が『本物志向』というタイトルを選んだ理由を明記してみますと…。

彼らの芸(特にモノマネ芸人さんの芸)には『(モノマネされる)本人の代理としてマスメディアに登場しても通用しそうだ』と思わせるほどの技術があるということです。モノマネされる本人の存在を脅かしそうなほど、『まねる』という分野において特筆すべき技術がある。『モノマネ芸人』として『本物』と呼べる存在であると思ったのです。言い換えれば、彼らは『モノマネ』や『腹話術』という分野では、誰にも真似できない(“モノマネ”を“真似できない”とは、いささか変わった表現ではありますが)腕を持っている。他の追随を許さないほど、卓越した芸の熟練度を身に付けていると言えます。

“ノリ”や“勢い”のみで笑いを取るお笑い芸人が多い中、僕の目には、彼らの芸は『本物』であるという評価を下したのです。でも、今思えば『本物志向』というより『プロフェッショナル志向』というタイトルの方が良かったですね(笑)。

前回のコラムの補足はこれくらいにして、僕は、そんなことよりも、「僕の書いた文章に関して反響が来た」という事実に対して、嬉しいやら恥ずかしいやらと言った具合なんですよ。「こんな稚拙なコラムでも、きちんと読んでくれて、反響を寄せてくださる人がいるんだなぁ……」。そんな風に実感したら、もうこれからいい加減なコラムを書けないじゃないですか(笑)。

これからは、もっと『情報発信者』としての自覚を持たなければ!と思う今日この頃でした。

 

今日のお題は・・・記憶力(2000年4月18日掲載)
どうも、RJCの石川です。

もう4月になり、僕の周りでも、進学・就職といった声が聞こえてまいりました。勤め先のすぐ近くでは、桜の花が咲きました。もう春なのだなといった感じですね。

さて、今回のお題は『記憶力』です。僕の記憶にまつわるお話です。

まず最初に、僕の友人ならよく知っている話ですが、僕はあまり記憶力がいい方ではありません。人の名前を覚えられない。名前と顔が一致しない。約束を忘れる。言ったことを忘れる。過去の記憶をうまく思い出せない。いくつかの思い出を混同して覚えている。などなど…。

とにかく、記憶力が悪いのです。大学時代などは、自分のスケジュールやら何やらを僕の代わりに覚えていてくれる『外付けハードディスク(記憶装置)』なる友人が存在していたほどです。とにかく忘れっぽいんですね。一時期、「これは病気なのだろうか?」と真剣に悩んだりしました。現在では、重要なことはメモ帳に書き込むことで、何とか自分の記憶力を補っています。

『記憶』に関する僕の話は尽きることがありません。例えば、一昨年の5月頃、こんなことがありました。

それは、ちょうど大学を卒業した僕が、会社の面接に出向いた時の話です。大学の先生が紹介してくれた会社に出かけた僕を待ち構えていたのは、3人の面接官でした。女性が一人と男性二人。当然、僕の資質を探るため、彼らは僕に対し質問をしてきます。「大学について」「性格について」「卒業論文のテーマ」「休日の過ごし方」などなど。緊張を隠せず、ただ聞かれたことに答えていた僕でしたが、実は面接の最中ずっと気になっていたことがありました。

「この人たち、どっかで見たことある・・・・・・・・・。」

そうなんです。僕は、以前会ったこともないはずのこの面接官3人の顔に、妙な『懐かしさ』を感じていたんです。彼らに以前会ったことがあるという確信があったんです。

よく、行ったことのない場所に過去行ったような記憶がある感覚を『既視感(デジャビュー)』と言いますよね。それの人間版です。どう考えても、会ったことのない人に、過去どこかで会った(または見た)記憶があるんです。どこで会ったのかは具体的に思い出せない。でも、必ず以前に一度は会っているはず。そんな『あるはずのない記憶』の感覚が2ヶ月ばかり続き、ひどい時には、電車で同乗した乗客のうち半分くらいに『見覚えがある』と感じていました。

結局、その『見覚えのある』人がたくさん勤める会社に就職が決まり、今にいたっています。おそらくは、僕の気のせいだとは思うのですが、これも何かの病気なんでしょうかね?

これをお読みの精神分析医の方。ぜひ診断をお願いします。

本日のお題は……『始めました』(2000年5月9日掲載)
どうも、RJCの石川です。今回のテーマは『始めました』です。

皆さんにも『なかなか始めることができない趣味』ってありますか?忙しい、資金的にムリなどの理由で、興味はあるんだけどなかなか始めることができない趣味。スポーツや習い事など、やりたいと思っていてもできない趣味って誰にでもありますよね。

僕にもありました。もっとも、僕の場合は始めようと思えばいつでも始められるような、些細な趣味だったのですが…。

ということで先日、僕は本屋さんで「古文単語」の参考書と「古典文法の問題集」を購入しました。そう、古文の勉強を、僕は始めたのです。

何で今更・・・。

皆さん、そう思われるかも知れません。実際、僕自身も「何でこんな本を買っているんだろう」と思ってしまいました。しかし、僕の趣味は『古文の勉強』なんです。

僕は『古文』が好きなんです。現代語訳された小説としての“古典文学”が好きなのではなく、古語で書かれた古文がすきなんです。もっとも、書かれている古語がぱっと見て理解できるかと言われれば、決してそうではありません。僕は古文が“得意”なのではなく、古文の言葉の響きが“好き”なんです。古語で書かれた文章を読み、そして意味を理解して物語を理解するのが好きなのです。

古語を口に出して読んでみてください。歴史的仮名遣いや理解しにくい固有名詞などがたくさん登場し、現代の我々では相当読みにくい文章ではありますが、どうぞ読んでみてください。僕は、あの古語を読んだ時に感じられる、音楽のような言葉の流れがとても好きなのです。これは言葉で表現するのが難しいのですが、『〜なむめり(発音上では『なんめり』と読む)』『〜と覚えしか』『〜なりけり』など、まるで歌うように発音する語調がとても心地よく感じるのです。

僕の夢は『古語でいろいろな文章が書けるようになりたい』です。そのためにも、早速勉強をしなくちゃ!

 

今日のお題は『馴染みの店』(2000年7月25日掲載)
どうも、RJCの石川です。2000年もあと半年を切りました。そろそろ暑い夏が到来しそうです。

今日のコラムに行く前に、皆さんに謝らなくてはならないことがあります。
前回と前々回、僕は自分のコラムを落としてしまいました。もちろん決して怠けて書くのを忘れたわけではなく、仕事で手一杯だったのです。毎回コラムを楽しみにしていた方(がいるのかどうかはともかく)には、大変申し訳ないことをしでかしました。すいません。何よりこのコラムを書くのを楽しみにしている自分にとって、これは悔しい失敗でした。

さて、それでは今日のお題です。今日は『馴染みの店』についてです。

先日、僕は仕事の関係であるバーに行きました。そこは、ある有名な作家さんの馴染みの店で、僕はそこでその有名な作家の方のインタビューを取らなければいけなかったのです。インタビュー自体は大変おもしろいお話を聞かせてもらい、僕も大満足な内容になりました。

お店のマスターとその作家さんとは昔からの友人で、その店でバイトをされていた経験もあるそうです。我々が慣れ親しんでいるペンネームの方ではなく本名で呼び合っているその姿を見て、僕は何故かうらやましい気持ちになりました。

子供の頃から、僕はなんとなく『馴染みの店』を持っている大人をうらやましく思っていました。店に入れば、黙っていても自分の好きなメニューを並べてくれる。「いつもの」という言葉で全て分かってくれる。メニューには載っていない特別な料理を出してくれる。そんな『馴染みの店』がある大人が、どこか格好いいと思っていました。

僕にとって『憧れ』である『馴染みの店』。まだまだ『憧れ』にすぎない。そう思っていたのですが・・・。

撮影が終わった帰り際、会社の後輩とそんな話をしている時、彼がこう言いました。
「でも石川さんにも馴染みの店ってあるじゃないですか。」

そうなんです。僕にも一軒、馴染みの店があったのです。
会社がある神田の駅前に一軒の居酒屋があり、僕はそこの従業員の方と顔馴染みになっていたのです。お店に入れば、「あぁ、久しぶりじゃない。元気だった?」などと声をかけてもらえる間柄になっていたのです。もっともまだ名前も覚えてもらってなければ、特別なメニューを出してもらえるほどには至っていませんが。

「神田に馴染みの居酒屋があるんだよ。どうだい?そこで一杯?」
う〜ん。そろそろ僕もこんな台詞が言えるようになったんだなぁ。勿論、渋谷や六本木と違いずいぶん庶民的な街ではありますが、僕が憧れていたのはまさにこんな台詞だったのです。

これで僕も立派な(?)大人に一歩近づいたわけです。よし!今日は久しぶりにあのオヤジさんに顔を見せに行くかな。

 

本日のお題は・・・他人事 前編(2000年9月21日掲載)
どうも、大変ご無沙汰をしてました。RJCの石川です。仕事の関係でここ最近コラムを更新することができませんでした。お詫びします。

さて、今回のお題は『他人事』です。

先日、僕は仕事で、兵庫県の明石市へ行ってきました。明石海峡大橋、子午線、明石焼などで有名な街ですが、ちょっと高台に登ると雄大な瀬戸内海が一望でき、海のない街に住んでいる自分としては羨ましい、素敵なところでした。

その明石に行ったのが、9月6日。そう。あの記録的な集中豪雨が東海地方を襲った日なのであります。6日昼頃出発した新幹線は、さすがに10時間以上も止まるということはなかったんですが、それでも、予定より1時間30分遅れで西明石に到着したのでした。

当然、翌日の帰路も大変な状態でした。仕事が終わり、午後3時に西明石駅に到着するも東京方面の新幹線は一本も走っていない状態。駅で1時間以上待っても回復する見込みがなかったので、在来線を使って一路新大阪に行くことに。新大阪駅の新幹線乗り場にはパニック状態の乗客があふれかえり、出発する当てもない新幹線がホームに並んでいました。結局、5時発のこだまに乗車して東京へ。本来ならば午後6時くらいに東京に帰っていたはずが、夜9時過ぎになってしまいました。

僕が一番衝撃を受けたのが、新幹線の窓から見えた、あの名古屋の風景でした。街全体を覆う水。そう。ワイドショーやニュースで繰り返し放送された、あの光景が、まさに車窓から見ることができたのです。
夕方少し前。普段なら車通りの多いであろう主要幹線道路が水没し、取り残された車が駐車場と思われるプールの中から顔を出している。そろそろ暗くなるというのに、明かり一つ灯していない人家。人の気配が全くなく、まるで死人の街にでもなってしまったかのようでした。

しかし、その『死の街』から10mも離れていない街は、いつものように車があふれかえり、賑やかなネオンが新幹線の乗客に向かって光を放っています。さっきまでの死の街が嘘のように、どこにでもある平日の風景を、我々乗客に見せつけているのです。

(後編に続く)

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